昨日に続き
貝原益軒の「養生訓」最終巻より。
読み終えて思うのは
昔も今も
私たちは自然の営みの中で
生かされている、ということ。
季節の移り変わりに従い
食するものが変わるのは当たり前で、
また、人の身体も季節によって
対応できること、出来なくなることがあり、
昔の人はおそらく今の人より
その事を自身で感じ得ていたのだろう。
便利になるにつれ
感覚も感性も鈍くなり
年中嗜好品を取ることができ
自然界に生かされているという感覚より
自分の力で生きている感が強くなっている。
養生訓を読むと
自然の摂理に添った生き方がよくわかる。
今一度 考えなくては、と思いながら
手を伸ばせば届くものや
欲するものを口にしてしまう。
欲を律するこころも
便利さに負けている…と思わざるを得ない。
「一日をおしんで生きる」
おいてから後は、一日を十日として日々楽しむようにするべきです。
つねに日をおしんで、一日も無駄に暮らしてはいけません。
世の中の人のありさまが、自分のこころにかなわなくても、凡人だからむりもないと思って、自分の子弟をはじめ、人の過失や悪いことには寛大であり、とがめてはいけません。
怒ったり、うらんではいけません。また、自分が不幸で貧乏であったり、人が自分に横暴であったとしても、浮き世のならいとはこのようなものだと思い、天命を受け入れて、憂えてはいけません。
いつも楽しんで日を送るようにします。人をうらみ、怒り、自分を憂いてこころを苦しめ、楽しまないで、つまらないで、むなしく過ごしたとなれば、愚かであるといえます。たとえ家が貧しく、幸いがなく、飢えて死んだとしても、死ぬまでは楽しんで過ごすべきです。貧しいからといって、人をむさぼり求めて、不義となって命をおしんではいけません。